トモヤのストーリー

何も考えないで行き当たりばったり、迷ったらワクワクする方を選んだトモヤのショートストーリー。

とにかく洋服が作れるようになりたい。ただそれだけ。

静岡県出身で実家は愛知県、とにかく洋服が作れるようになりたくて、東京に行きました。東京に行けばなんかあると思いましたが、まずはトラックの配送で専門学校の金を貯めて、ようやく夢にみた洋服を作る学校。1年後卒業して、全く洋服作れるようになってない事に怒り、とにかく自分で作れるようになりたいとバイトで入った場所が、サンプル縫製。たくさんのブランドの洋服を作っていてやる気に満ちていました。当時のボスには毎日キレられて、今に見とけよと思いながらも、朝7時から夜8時まで週6たまに週7で月の給料10万円でした。昭和じゃなくて、平成ですよー時代と給料のバランスおかしかった。

その後、洋服作るだけだとつまらないから、もっとデザイン的なクリエイティブな仕事がしたい。でもそんな仕事やった事もないので、ある国際夫婦がやってるファッションブランドにインターンで入りました。ということで、サンプル縫製が終わってからインターンのかけ持ちで、8時から終電まで、働くっていう生活がずっと続いてました。もちろんインターンなんで、給料はないので、月10万のまま。パターン引いたり、ファッションショーの準備をしたり、洋服作ったり忙しかったけど初めての事ばかりで毎日刺激的でした。お金もなくて、休みもないし、毎日眠くてお腹すいてたけど、充実はしてたし、辛いとも思わなかったしむしろラッキーと思ってました。Stevenたち元気かなあ~?

限界突破の先の壊れたメーター

その後、全部やめて違うファッションブランドで働きました。それはひょっとして初めてのフルタイムの仕事でした。デザイナーアシスタントとして働くことになりました。そこでは、最初昼の12時から夜9時ぐらいまで働いて、毎日やる事が終わらないという増えていくというか、とにかく楽しんで洋服作ったりしてました。ただ、量産の時期やランウェイやコレクション発表の前などは、家に帰らずにずっと洋服作ってる感じでした。もともとお酒は好きでしたが、オンとオフがない生活から、仕事中もウイスキーを飲むようになり、ついにはその時のボスに仕事しながら飲んでもいいか聞いたぐらいです。即答でOKでした。え、いいんだ 笑 とにかく仕事ができればなんでもいいみたいでした。

最終的には、泊まりで、洋服作って、酒飲んで、よくわからない生活リズムは、精神的にも影響して、仕事も楽しく無くなってきてきました。もうそろそろ辞めようと思い、ファッションショーの後辞めるて言ってやめました。半年ぐらい働いたと思いますが、3年ぐらいに感じました。真っ黒な服が有名なブランドですが、働き方も真っ黒。ちなみにシェリルとはそのファッションブランドの時に会ったんだけど、めっちゃ忙しい時に、もっと人が必要ってことになって僕が面接して、入ったのがシェリルでした。シェリルは入った時にちょっと話したぐらいで、オーストラリア人って事しか知らなくて、彼女は4日ぐらいで辞めてました。

腹立つ。ファション嫌い。そして再会。

私はその後なぜか、藍染の工房に入って、働き始めました。最初は新鮮で、色の変化とか藍染についてもプロセスが面白くて魅力を感じていきました。ただその工房のボスとは全く合わなくて、なんか目の敵にされており、最終的には「お前に布を染める事は3年早い、まずは髪を坊主にしてこい」というわけ分からない事も言われ、こいつと働く未来の自分は全く想像できず結局1ヶ月で辞めることに、その後は自分でマンションの一室で、サンプル縫製の仕事を始めました。その時にはファッション業界自体好きじゃなくなっていて、ひねくれていた私は、当時一緒にいた友達と、ファッション業界のシステムや、ファッションの在り方に反対するアートを作っては展示会で発表していました。その少し前に奇跡的なタイミングで、朝5時の新宿駅でシェリルにばったり再会していました。電話番号も全く知らなかったシェリルに人が多すぎる新宿駅の朝5時に会った事はかなりの奇跡だと今も思います。

2人で出発。アル中とデザイナー

シェリルは、その時自分のブランドを立ち上げて展示会をすると言っていたので、見にいく事に。彼女の展示会を見た時は、作品にかなり才能に溢れているのを覚えてます。その後シェリルのブランドに大きいセレクトショップからバイイングが入り、全国展開。普通ブランド3年やってオーダーがつくと言われてるファッション業界に一番最初のコレクションでオーダーがついたシェリルは今でもすごいと思う。

一方その頃僕は完全にアルコールの依存があり、当時の僕はアルコールが体に入っていないと手が震えて水も飲めない状態でした 笑。でも洋服やアート作品は作り続けていました。その後シェリルの量産を手伝う事になり、シェリルが当時住んでいたかなりボロボロのアパートに入り浸り、傾いたテーブルで2人で晩から朝まで洋服を作り続けてました。あの奇跡の再会から半年後ぐらいシェリルと結婚、一緒にブランドを手伝う延長から一緒にブランドやることになって、色々あって淡路島に引っ越す事になりました。その色々はまたの機会に。

大量生産大量消費を反対したアート作品
洋服の機能性、洋服の在り方を考えたアート作品
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